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青森地方裁判所 昭和43年(ワ)81号 判決

原告 国

訴訟代理人 山内照夫 ほか五名

被告 大向正美 ほか一名

主文

一、むつ市大字田名部字明神川および同所字中道の両字にわたつて存在する原告所有地と、被告大向正美所有の同所字明神川一番の一宅地三二六・一八平方メートルの南側との境界線は、別紙図面イ、ロの各点を直線で結ぶ線と確定する。

二、前項の原告所有地と、被告飛内源一所有の同所字中道二四番の二雑種地一〇五平方メートルの北側との境界線は、別紙図面る、れ、X(Xは同図面ハ点北のコンクリート側溝北壁上の点)の各点を直線で結ぶ線と確定する。

三、訴訟費用は、原告と被告大向正美間においては同被告の、原告と被告飛内源一間においては同被告の、各負担とする。

事実

一、当事者の申立た裁判

(原告および被告大向)

むつ市大字田名部字明神川および同所字中道の両字にわたつて存在する原告所有の農道と、被告大向所有の同所字明神川一番の一宅地三二六・一八平方メートルの南側との境界の確定を求める。

(原告および被告飛内)

原告所有の前記農道と被告飛内所有の同所字中道二四番の二雑

種地一〇五平方メートルの北側の境界確定を求める。

二、原告の請求の原因

(一)  原告は、むつ市大字田名部字明神川と同所字中道の両字にわたつて存在し明神平に至る農道(以下単に「原告所有地」という)を所有し、これを青森県知事をして管理せしめ、被告大向は同所字明神川一番の一宅地三二六・一八平方メートル(以下単に「被告大向所有地」ともいう)を所有し、被告飛内は同所字中道二四番の二雑種地一〇五平方メートル(以下単に「被告飛内所有地」ともいう)を所有し、これらの位置は、東西に細長い原告所有地を狭んで、北側に被告大向所有地、南側に被告飛内所有地が存在するという関係にある。

(二)  しかるところ、右原告所有地は、近時附近一帯が宅地化されるのに伴い、通行人の利便の関係から、その位置が、あたかも別紙図面ロ、ニ、ホ、へ、ト、ハ、ロの各点を結ぶ線の範囲であるかのごとき状況を呈している。

(三)  そして、被告大向は、原告所有地の利用関係が右事情にあることを奇貨として、被告大向所有地と原告所有地との境界線が、別紙図面のロ、ニ、ホの各点を結ぶ線であると主張し、かつ、同図面イ、ホの各点を結ぶ線の東側に、同線に密着させて建物を建築した。

一方、被告飛内は、別紙図面のハ、ニ、ホの各点を結ぶ線が被告飛内所有地と原告所有地との境界線であると主張してやまない。

右両被告の主張するとおりであると原告所有地は存在しないこととなつて不当である。

(四)  よつて、原告は原告所有地と被告両名の各所有地との境界の確定を求める。

三、被告大向の答弁および抗弁

(一)  請求原因(一)、(二)の事実および被告大向が原告所有地との境界につき、ロ、ニ、ホの各点を結ぶ線であると主張していることは認める。

原告所有地は明神川の橋を渡つて西側の道路と一直線をなし、いささかも喰い違いがなかつたのであり、右西測道路との接続状況からみて、原告所有地と被告大向所有地との境界は被告大向主張の線を除いてあり得ない。被告飛内所有地と原告所有地の境界は別紙図面へ、ハの各点を結ぶ側溝であるところ、被告飛内は、昭和二五、六年ごろ明神川の流れが変わり、字中道二四番の一、同字三二番の田の一部が西側神社境内地となつたことを知らず、足りなくなつた分を農道(原告所有地)に求め、前記側溝の位置を無視した境界の主張をしているものである。

(二)  仮りに、原告所有地と被告大向所有地の境界線が別紙図面イ、ロの各点を結ぶ線としても、被告大向は昭和三〇年六月三〇日被告大向所有地につき自己名義の所有権移転登記を経由して以来現在まで、イ、ロ、ニ、ホ、イの各点を結ぶ線内の土地を、所有の意思をもつて善意無過失の占有を継続しているのであるから、右土地を昭和四〇年六月二九日の経過により時効によつて取得した。

四、被告飛内の答弁

請求原因(一)、(二)の事実および被告飛内が原告所有地との境界につき、別紙図面ハ、ニ、ホの各点を結ぶ線であると主張していることは認める。

五、被告大向の抗弁に対する原告の答弁

原告がその主張のときから主張部分を占有していること、善意無過失であつたことはいずれも否認する。なお、原告所有地は、国有財産法三条二項の公共用財産であるから、取得時効の対象となるものではない。

六、立証〈省略〉

理由

(原告所有地と被告大向所有地の境界についての判断)

一、〈証拠省略〉の結果(一部)を総合すれば、かつて、原告所有地は、下北郡田名部町宇明神川と、同所字中道の字界に跨つて東西に連らなり、農道として使用されていたところであつて、右農道の北側に接し明神川に囲まれる部分がもと字明神川一番田一畝五歩であり、明治二一年に作成された地押調査の際の絵図(現在青森地方法務局むつ出張所に備付のもの)によれば、右両土地の境界線は字界の線に平行な東西に連なる直線で表示されていること、戦後字明神川一帯にかけて下北郡田名部町早掛耕地整理組合の耕地整理が行なわれ、右の字明神川一番田一畝五歩と同字二番田一畝二〇歩の換地として、昭和二八年三月二〇日字明神川一番田四畝三歩が与えられたこと、右耕地整理組合の確定図(現在青森地方法務局むつ出張所に備付のもの。〈証拠省略〉。)によれば、右の換地後の字明神川一番四畝三歩は三角形をなし、その南側の直線の一辺が道路である原告所有地との境界をなしていること、その後右土地は同番宅地一二三坪と地目変更され、昭和三七年六月一〇日南北に連らなる線で同土地から東側の同字一番の二が分筆され、西側の部分が答記簿上同字一番の一宅地九八坪六合七勺と表示されている現在の被告大向所有地であること、被告大向は昭和三〇年六月三〇日訴外川島準蔵から前記分筆前の字明神川一番宅地一二三坪を買受けたのであるが、それ以前の昭和二七年ごろ同地上西側に被告大向が建築したのが別紙図面に「被告大向方旅館釜石屋」と表示されている現存する建物であつて、その南側壁は東隣の保楽劇場の南側壁とほぼ一直線にあること、右保楽劇場敷地のうち被告大向所有地に接する部分が、前記の分筆された同字一番の二であること、原告所有地と保楽劇場敷地との境界(別紙図面ロ点から東方向)が、ほぼ右保楽劇場の建物の南側線であることについて格別の争いのある形跡が存しないこと、以上の事実を認めることができ、右各認定を左右するに足る証拠はない。

してみれば、被告大向所有地の南側線すなわち原告所有地との境界は、直線状をなし、それは別紙図面ロ点の東方向と同様、被告大向所有建物(釜石屋旅館)の南側壁に沿つたものと推定することができる。そして、右の事実に、右各建物の存立状態および右ロ点附近の東西にのびる側溝の敷設状況(検証-現場-の結果)等を併せ勘案すれば、被告大向所有地と原告所有地との境界線は、別紙図面イ、ロの各点を結ぶ直線と定めるのが相当である。

もつとも、〈証拠省略〉、鑑定の結果によれば、前記耕地整理組合の確定図は、その全てが細部にわたつた実測に基づくものではなく、見取りによつて作成された部分もあるため、各筆の検尺等に不整合な面のあることが認められるが、そのことは、前記のように、換地として与えられた字明神川一番田四畝三歩の南側線が直線をもつて定められたことまでを左右するに足りるものではない。

また、〈証拠省略〉によれば、明神川を狭んで西側対岸に対する側溝(別紙図面を、り、む、たの各点を結ぶ線に沿つた水路)は古くから存し、その位置に大幅の変動はなく、この側溝沿いの通路と、原告所有地のかつての農道は明神川にかけられた簡易な橋によつて通じていたことが認められるが、右側溝沿いの通路なるものが、側溝の北西側にあつたか南東側にあつたかを確定するに足る証拠がなく(現在は側溝の東南側が通路となつているのに反し、〈証拠省略〉には北西側部分を通つたとの趣旨の部分があり、検証-図面-の結果も水路の北西側に通路があつたことを覗わしめる)、また原告所有地は明神川に接する部分において南北の幅が一段と広くなつていた等後述するような事情のもとでは、〈証拠省略〉は前記のように判断することの妨げとなるものではない。また、右〈証拠省略〉中、古くから通路として使用されていた原告所有地の位置は現在の通路部分と全く同一で変動がないとの趣旨の部分は、その供述の根拠が記憶と感覚に基づくものに過ぎず、長年月の経過に伴い徐徐に行なわれる地形、四囲の利用状態の変動を考えれば、直ちに採用し難いものである。被告大向正美本人尋問(一、二回)の結果中、かつての明神川川岸の状況、原告所有地の通行状況等につき供述するところも、前記判断を左右するに足るものではない。

なお、〈証拠省略〉によれば、原告所有地と字明神川一番宅地一二三坪の境は、折線をもつて表示されているが、右〈証拠省略〉によれば、右図面中の該部分は測量士真野廣一が被告大向正美の指示に基づいて同被告がその所有地と指示する範囲を確定し、測量したに過ぎないことが明らかであるから、これまた前記判断の妨げとはならないのである。

他に前記判断を左右するに足る証拠は存しない。

二、被告大向の時効取得の主張について

元来、隣接する土地の境界が不明なために争いがある場合に裁判によつて境界を確定することを求める境界確定の訴は、土地所有権の範囲の確認を目的とするものではないから、被告大向主張の時効取得の主張の当否は、直ちに原告所有地と被告大向所有地との境界確定に影響を及ぼすものではない。しかし、仮りに、被告大向が取得時効の完成により、前項に確定した境界線を越えて原告所有地の一部に所有権を既に取得しているものとすれば、原告は境界線に直線接続する土地の所有地ではないことになり、その限りにおいて本訴の利益、当事者適格を欠くに至ると解する余地がある。

よつて、被告大向主張の時効取得の成否について検討すると、被告大向が字明神川一番宅地一二三坪について所有権移転登記を経由した昭和三〇年六月当時、その主張するように、既に別紙図面イ、ロ、ニ、ホ、イで囲まれる土地部分の占有を始めたことについては、これを認めるに足りる証拠がない。〈証拠省略〉に徴すれば、基点の位置が明確でなく、被告大向正美本人尋問の結果(一、二回)も、右時点における被告大向の右部分の占有状態を明らかにするものではない。のみならず、前認定、説示のとおり原告所有地の北側線はイ、ロ線の南側に位置したものではなく、かつ同地は原告たる国において直接公衆の共同使用に供する道路たる公共用財産であつて(検証-現場、図面-の結果および弁論の全趣旨)、前記早掛耕地整理組合の耕地整理によつても、その性質を変じたことはなかつたと認められ、被告大向主張部分について右公用が廃止されたことを認めしめる何らの証拠もないから、右部分をもつて時効取得の対象となるものということはできず、この点についての被告大向の主張は採用できない。

(原告所有地と被告飛内所有地の境界についての判断)

〈証拠省略〉を総合すれば、被告飛内所有地は、もと字中道二四番の一の田(以下「旧二四番の一の田」という)の一部であり、右の旧二四番の一の田は、その北側において原告所有地に、西側において明神川に接していたこと、原告所有地に接する部分は、原告所有地内の東西に通じる字界の線を基準とすると、同字二三番の一の田に接する部分から西側に向つて、屈折しながら南方にやや末広がりの形状をなしており、その境界沿いに東側から西側に流れる水路が設けられていたこと、一方、明神川は、かつて旧二四番の一の田に接する地点から南南西の方向に流れていたのであるが、昭和二四、五年ごろ同川が改修された際、現在のように右地点附近から南南東の方向に流れることとなつたこと、旧二四番の一の田はもと訴外中村力蔵の所有であつたところ、同訴外人は、明神川が改修された昭和二四、五年ごろ旧二四番の一の田うち右改修の結果明神川の西側になつた部分を田名部神社に寄付したのであるが、のちに旧二四番の一の田に寄付していない残地のあることを知り、これを他の土地との境界、坪数未定のまま他に売却したこと、昭和三八年一月に至り、これを被告飛内の妻飛内うめが買受けるに際し、旧二四番の一の田からの分筆手続がなされ、その結果生じたのが被告飛内所有地すなわち字中道二四番の二雑種地一畝二歩であること、原告所有地と旧二四番の一の田との間には、古くから水路が存したのであるが、現在被告飛内所有地上の建物の北側にある側溝は、同被告において、右水路の位置に相当するところにあつた土止めの存したところに設けたもので、その後附近の土地利用の変更により変遷はあつたものの、その位置はほぼ古くからの土止めの位置と変つていないことをそれぞれ認めることができ、また、被告飛内や、それ以前の旧二四番の一の所有者が、右側溝を北側に越えた部分を占有した事実は認めることができない。

右のような、公図の状態、被告飛内所有地の変遷、占有状態に鑑みれば、原告所有地と被告飛内所有地との境界は、別紙図面る、れ、X(ハ点北の側溝北壁上の点)の各点を直線で結んだ線(現在の側溝北壁に沿つた線に相当する)と定めるのが相当である。

もつとも、右の、る、れ、X点を結ぶ線の形状と、公図上旧二四番の一の田と原告所有地との境を示す線の形状とは、完全に符合するものではなく、また検証(現場)の際に、原告指定代理人および被告飛内が双方の境として指示した線は、ともに、別紙図面ホ、ニ、ハ(ないしハ)を結ぶ線というのであるが、ホ点というのは、明神川に接して昭和四〇年に建てられた被告大向方住家のコンクリート基礎の南端であり、ニ点というのも、被告飛内がその他の自己所有地の面積、形状を参考に割り出した測点ということの域を出ないもので、いずれも両地の境界を定める根拠とするに足るものではなく、公図上示されている境界の形状からみれば、別紙図面る、れ点よりやや北側の点が、かつて境界であつたのではないかとのことも覗い得ないではないが、それが現地でどの点に当るかを確定するに足る資料はなく、前述のような被告飛内所有地の変遷状態、占有状態を併せ勘案すると、る、れ点を基準として両地の境界を確定するのが相当と思料されるわけである。

なお、専ら公図に準拠し、その間尺、縮尺関係から公図上の境界線を現地に頭出することも、あながち背理とはいえないが、そのためには、基点の位置、測量方法、検尺についての公図の明確性、正確性が前提となるところ、現存する字中道絵図、右の検証に耐え得る正確度を持つものとは断じ難く、結局、この点も、前記のように境界を確定することの妨げとなるものとはいえない。

(結論)

以上の次第であるから、原告所有地と被告大向所有地、被告飛内所有地の各境界は、主文第一、二項のとおり確定することとし、訴訟費用は主文第三項のごとく定めることとする。

(裁判官 大石忠生)

図面〈省略〉

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